2000年に世界文化遺産に登録された「琉球王国のグスク及び関連遺産群(Gusuku Site and Related Properties of the Kingdom of Ryukyu)」の構成資産の一つである今帰仁城に訪れたので、その歴史と実際の様子を紹介したいと思います
今帰仁城の歴史

今帰仁城は、13世紀末から14世紀初頭にかけて築かれたとされており、この時代の沖縄本島には「北山(ほくざん)」「中山(ちゅうざん)」「南山(なんざん)」の三勢力が鼎立する、三山時代が展開していました。
今帰仁城は、北山王系である「怕尼芝(はにじ)」が居城としたと伝えられています。『中山世鑑』などの琉球王国史書によれば、北山王はその後、「珉(みん)」「攀安知(はんあんち)」と続き、三代にわたり北部を支配していたとされています
しかし、1416年(一説には1422年)に中山王「尚巴志(しょうはし)」が北山を攻め、攀安知を滅ぼしたことで北山は滅亡しました
これにより三山時代は終焉し、中山による統一が始まります
北山滅亡後、今帰仁城は王府(首里)の監視下に置かれ、「監守(かんしゅ)」と呼ばれる役職者が北部地域の統治を行いました。今帰仁城はその居城として機能し、この時期を監守時代と呼びます。
その後、1609年の薩摩藩による琉球侵攻(慶長の役)の際、今帰仁城は攻撃を受けて炎上・破壊されたと伝えられています。以降、城としての機能は失われ、17世紀後半には監守制度も廃止されました。
今帰仁城跡の様子


敷地内はとても広く、写真のように長い直線の歩道が続いています

写真のように城壁の一部が残されています

また、写真にはありませんが敷地内には御嶽があり祈祷をしている人もいました

文化史遺産に登録されている5つのグスクでは背景が繋がる御城印が販売されているので、ぜひ思い出に購入してみてください!
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